連載576.小説『山を仰ぐ』第8章発明家ー②開産社と博覧会ー10

連載576。小説『山を仰ぐ』第8章・発明家ー②開産社と第一回内国勧業博覧会ー10 
 
 そうと決まれば、話はどんどん進みました。県の意向もあり、開産社が大そう乗り気だったからです。
 五月の半ば、新緑の山々が五月雨(さみだれ)で煙っていた朝は、辰致さまが機械を持って松本へ行く日でした。
 前夜、納次郎さんが、岩原から荷車を引いて、手伝いに見えました。お顔を見た時は嬉しかったですね。立派なのに愛らしい納次郎さんのお顔が見れて。一緒に食事もし、母屋に泊って下さり、妹弟たちと遊んでくれました。
 辰致さまが松本へ行く朝は、重い機械を運ぶために、奈川の牛追いが、牛車を出してくれ、牛車には、細糸紡機と布織機の二台の機械がのっていました。
 先頭を連綿社頭取の波多腰六左さんが歩き、牛車が続き、その後を、辰致さまの荷車と納次郎さんの荷車が、五月雨の野麦街道を、ゆっくりと遠ざかっていきます。
 糸は、たたずんで、遠ざかる車の列が見えなくなるまで、見送っておりました。辰致さまはただ、機械を開産社に備え付けに行っただけですが、しばらくは松本に滞在です。糸には、それが寂しく思えました。
 その日から、辰致さまは、ひと月余り、松本北深志町六九の開産社に泊り、女鳥羽川のほとりに建つ、ガランとした建物の片隅で、一人で暮らしたのでございます。
 その建物は、連綿社の工場になる予定でしたから、他の器械の搬入準備や内装整備、展示場の準備と水車小屋の設計もありました。
 辰致さまには、もし、松本で暮らすのなら、キヨさんとの心機一転が可能かも、という望みもあったようでした。

 (次回、連載577に続く。
 写真は、ニューヨークのセントラルパークを歩く姉(24歳)と弟(13歳)。写真2は27年後、立派に育った二人です。神に感謝)

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