連載47。小説『山を仰ぐ』第2章の3-6

 正彦さんは続けます。
 「仏教も、寺受け制度などで人の移動を制限し、幕藩の仕組みを実質的に支えています。
 本居宣長先生や平田先生は、国学者として、儒教や仏教が入って来る前の、この国の人々の心情を研究し、神道や天皇家を大切する尊王の考えを固めました。
 精神的な尊王に、攘夷を付けて、尊王攘夷にしたのは水戸学派の人たちです」
 「そうですか」
 智恵さまの声は、お経を読まれた時とは違い静かでした。運ばれてきた冷たいお水を口に運び、ちらりと私の方を見、軽く会釈をなさいます。私はお二人をじっと見つめていたので、智恵さまと目が会いました。
 あら、どうしましょう。
 透明で見えない人の気分だったので、会釈をされて驚きました。
 見えているのか。
 私は驚いたままでした。驚いたまま、固まって、智恵さまから目を離せなかったのでございます。
 智恵さまの目がほんの少し笑ったように見え、直ぐに正彦さんの方へ向きを変えました。正彦さんが続けます。
 「平田先生は、外国の事情を学ぶことは大切と考えていました。学んだ結果、アヘン戦争後の中国の惨状やアジアの情勢を知り、鎖国の日の本に警鐘を鳴らしたのです。猛烈に。外国に征服されてはいかん、と」
 
 (次回、連載48に続く。
 写真は、大工の息子(松村寛生)が伝統工法で建てた木の家です)


< 2021年10>
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石上 扶佐子
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