連載324.小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―①俊量が語る少年栄弥―30 

 洗馬の接種は、わたくしの兄がお仕えしていた蘭方医熊谷珪碩(けいせき)先生が担当されました。わたくしの父の同年代で、父や堀金の青柳先生とは俳句のお仲間です。
 当時、熊谷珪碩先生の息子の謙斎さんは数えの二十歳で、大垣の蘭方医江馬家に医学の勉強に行っておりました。
 京都の江馬家も大垣の江馬家も、緒方洪庵先生の弟子でしたので、大垣の江馬家にいた熊谷謙斎さんは、緒方先生の大坂除痘館から痘苗をもらい、やり方を教わり、素早く信州洗馬の父珪碩先生に伝え、生々堂で牛痘接種が実行されたのでした。
 洗馬は、釜井庵に菅江真澄さんが逗留して以来、熊谷家を中心に進取の文化が育っていましたからね、人々の繋がりが強く、そのような呼びかけにも応えてもらえたのでしょう。中山道沿いの町で、東西南北のいろいろな考え方が混じりあっていた地域ですから、そういう、時代を変えるようなことが、素早くできたのですね。
 そうですよ、「牛痘をうえると、牛になって角が生える」と信じる人も多かった時代ですから。ペルリが浦賀に来た嘉永六年(1853年)の、三年も前のことです。
 熊谷珪碩先生は、洗馬の生々堂で、嘉永三年と四年の二年間に、百六十三人の村人に牛痘接種をしました。

 (次回、連載325に続く。
 今日は、松本市議会9月定例会の開会の日でした。
 提出議案や予算案の文書は、ぎっしり書かれたものが、5センチくらいありました。市長や担当者による提案議案説明を聞くにつけ、市は、なんとまあ沢山の仕事を計画し実行せんと予算を計上していることか!と目が廻りそうです。目が廻ったので報告はできません。写真は今日の臥雲さん)

< 2022年09>
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石上 扶佐子
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