連載343。小説『山を仰ぐ』第5章・栄弥―②俊量が語る青年栄弥―5 
 (前回は、大妻の松沢志野の料理の味が、後の栄弥の糧になったお話しでした)

 話しを元に戻しましよう。
 嘉永六年(1853年)、数え十二歳の栄弥さんが外回りの仕事を始めた頃、志野さんの上の男の子は数えの四つで、栄弥さんの訪問を楽しみにしていました。
 栄弥さんは、自分が使った独楽(コマ)や竹馬を持って行き、短い時間でしたが、一緒に遊ぶのが楽しみでした。栄弥さんにはまだ弟がいませんでしたからね。もちろん玩具(おもちゃ)は贈りものですよ。栄弥さんなら、新しいものを作れましたから。
 もう一人の、生まれて間もない下の男の子は、いつも志野さんの背中に負われていました。
 栄弥さんは初め、兄やの仕事を引き継ぐのに精一杯で気が付きませんでしたが、夏の暑さが過ぎて野山に涼風が立つ頃、空が青々としてきた秋になって、栄弥さんは、はたと思ったのです。
 『おらが行くたびに、志野さんは、糸紡ぎの量を増やしてくれる。そのことは、おらの家にとってはありがてぇことだが、志野さんにとってはえらい(大変な)ことずら』
 大妻の志野さんの所も、わたくしたちの弧峯院も、横山家から糸紡ぎの仕事をもらっている近隣の農家は皆、仕事の初めに横山家から糸車を貸してもらっています。
 糸車がなかった以前の手紡ぎ(てつむぎ)は、独楽(コマ)をひと回り大きくし、コマの軸を引き延ばしたような道具を使いました。この道具はツム(紡錘・スピンドル)と呼ばれ、軸の半ばにコマの輪(円盤)が付いていて、輪を境に軸を短い方と長い方に分けています。
 コマの短い軸の先端にカギ型の金具が付いているので、綿塊(篠綿・しのわた)から引き出した綿をこのカギ型の金具に引っ掛け、糸を持って引っ張るようにコマを吊します。
 すると、カギが付いている短い軸が上、コマの長いほうの軸が下になります。その下に垂れた軸の先を、指先で勢いよく回すことで糸がよじれるのでした。

 (次回、連載344に続く。
フラッシュエアーが作動しなくて、、、。今日の写真はこれで。)

< 2022年09>
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石上 扶佐子
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