連載161。小説『山を仰ぐ』第4章俊量(良)―①中町時代―21 
 (前回は、呉服屋で暮らし始めた良に、跡取り息子は通りすがりに「おっ」というだけでした)

 ある日、鑑札をもった大旦那さんと、お針子で一番の姉さんが、着物の採寸でお武家屋敷に行くことになりました。なんと、わたくしは、そのお供をさせていただくことができたのです。普通なら、決して入ることのできない、お城の三の丸に行けるというのでした。
 上級武家のお屋敷は、城内の三の丸にあります。女鳥羽川の北、大手橋(今の千歳橋)の向こうの大名町と呼ばれている場所です。大手橋を渡ると桝形に大手門が聳え立ち、その門は、昼も夜も一年中閉じられていました。善光寺街道を直進して攻め上るかもしれない敵から、城を守るためです。
 城内に入るには、三の丸を囲む総掘りの東南、馬出しの奥にある東門が、唯一の通用門でした。番所もあって、特別な身分と用事と鑑札がなければ城内にははいれません。松本一の呉服屋が、武家屋敷の殿方や奥方の着物の採寸に行く、という理由がなければ叶わないことでした。
 東の馬出しで総掘りを渡り、通用門の東門から城内三の丸へ足を踏み入れて、わたくしはびっくり仰天いたしました。お武家屋敷の一軒が、とほうもなく大きかったからです。
 採寸の用事でお伺いするお屋敷は、大手門からお城へ行く道筋にあったのもですから、途中、大名町通りを歩きました。その道の両側は、漆喰壁に瓦屋根の長い長い屋敷塀が、延々と続いていたのでございます。
 そこで、わたくしは気がついたのです。
 女鳥羽川に沿う総掘りの桝形にある、いつも閉まっている大手門から、お城の外堀のまでの長い道筋、大名町通りに面していたお屋敷は、なんと、たったの四軒だったのです!
 屋敷一軒の一辺が数町もある大屋敷が、城内の三の丸を埋めていました。しかも、みたこともない立派な造りです。 
 なんてこと! 

 (次回、連載162に続く。
 今夜はフォークダンスクラブの日ですが、体調がいまいちなのでお休みします。とても楽しい会です。動画は上手な先生たちのステップ。毎週水曜日、午後の部は安原公民館。夜の部は、主にふくふくらいず城東公民館か、東部公民館。今夜は東部です)https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=5180285112029917&id=100001454393608

< 2022年04>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
石上 扶佐子
石上 扶佐子