帰り連載169。小説『山を仰ぐ』第4章俊量(良)―①中町時代―29  
 (前回、良はこれからの道を探して悩みはじめます。そんな年の瀬に兄が帰宅し熊谷医院のことなど話し、祖父母からの便りもありました)

 わたくしの家族はそんな風でしたが、町や村はまだまだ荒れていましたね。数年の飢饉でひっ迫した財政を立て直すため、松本藩は前年に倹約令を出していましたので、世の中はさらに小さく細く暗くなっていたのでございます。
 大変な時代を生き抜くには、苦しさを跳ね返す力が必要でした。お武家さまはどうだたのか知りませんが、すくなくとも、天保十年(1839年)の正月を迎えようとする松本の町人衆は、特別に奮い立つような心持でおりました。
 倹約令なんかに負けてたまるか、とね。大晦日にはしっかり厄(やく)を落とし、新年は景気よく祝って、一年の息災を祈り、今年こそという夢を持ちたかったのです。
 暮の大掃除を終え、入口に松を飾った蔵で、父と母と兄とわたくしが火鉢を囲こみ、ささやかなお年取りのご馳走を食べました。ほら、母屋の住人から頂いたあの鰤(ぶり)もね。父さんが言いましたよ。
 「鰤は大きくなるに連れ、名前が変わる出世魚だから、歳が一つ大きくなるお年取りには鰤を食べるのせ。人は偉くならんでもええが、世の中には出なければならんでね。出世は大切なことせ」
 おじいさまとおばあさまが居ない年の瀬は初めてで、寂しい気持ちもありましたが、親子だけの小さな家族も良いものです。きちっと締まっている感じ、でも、のびのびした感じ。
 家族四人で深夜に出かけた二年参りの道中には、近隣の寺の除夜の鐘がこだましていました。粉雪が流れてきたので、夜空を見上げると、雪が星の光ように舞い降りて来ます。降りて来た雪がまつ毛に留まってね、そんなことにも、希望の兆しを見たいと願う年の瀬でした。
 念来寺で徐夜の鐘を突き、足早に蔵に戻ると、暖かい蕎麦を食べましたよ。父さまが
 「米は姿を消したけど、まだ蕎麦があるから、ありがたいことだいね」と言い、母さまが
 「ほれ、葱を沢山食べたら、風邪を引かないでね」と言いながら、湯気のたつ蕎麦の器に刻み葱をようけいのせてくれました。

 (次回、連載170に続く)

< 2022年04>
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石上 扶佐子
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