(連載157。小説『山を仰ぐ』第4章俊量(良)-①中町時代-17。
 (前回は、洗馬に逗留した菅江真澄をめぐる、良の祖父の思い出話でした)

 おじいさまの話しはまだ続きました。青年の頃に出会い、仰ぐように見上げた方を、ずっと好きでいたのでしょうね。
 「菅江真澄先生は坂部へ行き『熊谷家伝記』を見せてほしいと所望しただいね。郷主熊谷家は、快くその本を見せてくださったそうな。
 先生はその本から、大変な刺激を受けたと言われたじ。珍し物好きで、興味に勝てず、気の向くままについ深入りしてしまうたちなのだと、と自分でも言っておらしたが、伝記を見せてもらってからは、見聞きした珍しいことを、書き残したいと思うようになったのだと。
 行く先々の人びとの暮らしは、そこの地方の方々には普通でも、他所から来た者には、興味深いでね。熊谷家伝記は、暮らしを記録する価値を教えてくれたのせ。
 坂部の熊谷さまで、伝記を読ませていただき、さて、帰り際、ご当主が、
 『これからどうするのか』と聞いてくだされたとさ。菅江先生は
 『まずは、天竜川をさかのぼってみようと思います』とお答えしたのだと。すると、ご当主は、
 『天龍川の始点の諏訪湖の近く、塩尻で中山道にぶつかったら、すこし西に行くと、街道沿いに洗馬という活気のある宿場町がある。本洗馬で、遠い親戚の熊谷家が、医者をしているから、そこへ行って、しばらく、逗留させてもらいなさい。洗馬を足がかりに、信州をあちこち回られたらよかろう』と言って下さったんだとよ」
 菅江真澄さまが洗馬に滞在された一年間、熊谷家生々堂近くの釜の井庵は、文人が集う熱気あふれる空間だったそうです。天明の大飢饉がはじまる頃でした。大変な時代を乗り切る熱気が、その後の洗馬文化の輝きを作ったのでしょうね。

 (次回、連載158に続く。
 写真は、240年程前に、菅江真澄が逗留した洗馬の釜の井庵の現在。)

< 2022年04>
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石上 扶佐子
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