連載162。小説『山を仰ぐ』第4章俊量(良)―①中町時代―22  
 (前回は、呉服屋の大旦那のお供で、良は初めてお城の三の丸に足を踏み入れ、上級武士の屋敷の大きさに驚きます)

 着物の採寸にお伺いしたお屋敷の、塀の内側のなんと広々としていたことでしょう。松の緑がそれはそれは美しく整えられていてね。なにより驚いたのは辺りの静けさでした、まるで、町全体が死んでいるようです。
 城の天守閣のある本丸と、二の丸御殿がある二の丸の間は、四方を内堀が巡り、本丸は島になっています。二の丸から本丸に行くには、黒門を通るしかありません。めったな人は通れませんが。
 二の丸と三の丸の間は、四方を外堀が巡り、二の丸は島です。三の丸から二の丸に行くには、太鼓門を通るしかありません。
 三の丸と城外の間は四方を総堀が巡り、三の丸は島。本丸と二の丸と三の丸の全てを、総堀が囲んでいます。総堀を渡れるのは東門だけです。
 その大きな総堀りの内側、三の丸側には、土塁の上に、大きく城を囲む瓦屋根の塀が、隙間なく巡らされていました。土塁と塀を合わせると高さは三間半(6㍍)ですから、女鳥羽川から北の城内は、閉ざされた大手門と、総堀と、土塁と塀に阻まれて、全く様子が分りません。長年、大手橋のすぐ近くの中町で暮らしながら、三の丸の様子は全く知らなかったのです。
 この時、わたくしたちは、城内の三の丸を歩いておりましたが、その中心の大名町通りからお城に向かって進んでも、お城の天守閣は見えません。天守閣が見えない角度で、通りを作っているのです。 
 この大名町通りの突き当りには、二の丸と本丸があります。しかし、その様子は三の丸からは全くわかりません。
 三の丸の大名町通りの突き当りは、満々と水をたたえた外堀です。右を見ても左を見ても橋はなく、正面には、堀の向こうに長々とした塀がそびえるばかり。城の東西に渡り、外堀にそって、二の丸側に、瓦屋根付きの城塀が隙間なく並び、視界を阻んでいるのです。
 なんと閉ざされた空間であることか、とその時のわたくしは思いました。その死んだような静けさと相まって、武士の空間が、腐っているようにも思いました。見かけは広くて整えられているのにね、活気は皆無でしたから。

 (次回、連載163に続く。
 写真は、今日用事があって行った教会の信徒館の壁に架っていたもの。有名な聖書の言葉で、コリント13章の愛の賛歌です。前から架っていたかしら?)

< 2022年04>
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石上 扶佐子
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