ミサでは「目を覚ましていなさい」と言われたのに、帰宅後モーレツに眠いのは、大型台風のせいです。
 今日のミサは盛り沢山でした。まず「知恵の書」の
「過越しの夜のことは、われわれの先祖たちに前もって知らされており、それを信じていたので、動揺することなく安心していられた」。次は「ヘブライ人への手紙」で
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」。その後にルカの
「腰に帯を締め、ともし火をともし、目を覚ましていなさい。人の子は思いがけない時に来る」、などでした。
 さらに先週は「主の変容」や「各自、不承ぶしょうではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい」など、重要事項が沢山だったのに、なんと、神父様は先週も今週も同じことをいわれました。
「財産は、分け合い助け合い、お互いの幸せのために使うのがいい。命は、愛し合い大切にし合うために使うもの。
 当たり前の日常に神を認め、怖れないで、歩みなさい。必ず救いが満ち溢れる日が来る」と。
 
 写真は東窓の正面の袴越山。1と2は、夕暮れ時1時間の時間差です。
 3は、自慢のビワの木が、2種類のつる草に乗っ取られた様子。
 4は、東外壁に延びた蔦。

 午前中は、市庁舎4Fで「消費者問題協議会」。消費者が不利益を受けないなめに、市や県は、心を尽くし、手を尽くしています(しらなかったなぁ~)。
 今日は最後の時間を「エシカル消費」に使いました。
 夜は「城東公民館夏祭り」で、まず、地区の(でも、松本を代表する)素晴らしい和太鼓の演奏を聴きました。細胞が揺り動かされる、モーレツな響きです。
 日本には、まことに素晴らしい楽(がく)の音があります。小・中・高生の皆さま、ありがとう。
 楽しく飲んで、食べて、旭町小学校の校長先生ともしっかりお話しできて、有意義な会でした。
 でも、終わり間近かに、気分が悪くなり、ごめんなさい、片付けしないで、帰って来てしましました。
 もう、だめ~~~と、ヨロヨロ家に辿り着いたのに、着物の帯(6本)をはずして、シャワーをしたら、楽に。
 あらら、締め過ぎ、食べ過ぎ、飲み過ぎ、でした。片付けしないで、ごめなさい。

 

松本ジセダイプロジェクトからのお知らせ。
 TBSテレビの政治討論番組『時事放談』の司会者であり、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を務めた政治学者、御厨貴氏(みくりや・たかし)を迎え、松本在住の ジャーナリスト、臥雲義尚(がうん・よしなお)とのトークイベントを開催します。
20代から70代までの幅広い人たちが参加して“松本のいまと未来”を語り合う『ジセダイトーク』を主催する、松本ジセダイプロジェクトの特別企画。

 城東公民館の秋の文化祭で、健康推進は、体内年齢を測定したり、がん検診受付のコーナーを持つので、今日の午後は、その打ち合わせ(実行委員会)でした。
 終了後は、どこかでクールシェアをしながら、本を読もうと思っていたのに、本を忘れてたことに気づき、結局は、トボトボと自宅へ。
 最盛期よりは少し下がったけれど、まだ33度C。ソロソロと忍び寄る、台風の970ヘクトパスカルも相まって、なんだか不幸な午後の後半です。
 夜になったら、あらまあ、虫の声。しかし、これさえ寂しげで、、、、。
 どんなに暑くても、必ず来る秋。待ち続けても、来ないことは沢山あるのだから、春秋の巡りは、せめてもの、恵み、と、、、。

 今日は朝9時から、ひろばで「サポけん」、9時半から「ふれけん」でした。
 今日の「ふれけん(ふれあい健康教室)」は、「サポけん(体力づくりサポーター研」が、脳トレも、健康体操も、体力測定も、筋力アップ体操も担当する、ということで、初めの30分は、その打ち合わせです。
 なので、今日のひろばは「サポけん」メンバーと、「ふれけん」メンバーが一同に会し、お祭りのような華やぎ。
 常連の方々に加え、市からは「サポけん」の先生の甘利さんや、助っ人の保健師さん2人、ボランティアの理学療法士さん3人、地区の保健師さんや、包括センターの方、町会長や民生さん、健康推進や交番のおまわりさん、アコーディオンの先生、もちろんひろばの方々も。最後は、パン屋さん3・4名が加わり、お店まで出ました。

 夜は、町会の公民館で、盆踊りの練習。
 一昨日のMウィングでの練習は、松本城の盆踊り(8月14日、15日、16日)のため、今日のは町会の盆踊り(8月12日、元町3丁目・デリシア駐車場)のためです。
 踊りの先生は、どちらも同じ人。我が街の隣人ですので。
 この方は、もうじき90歳だそうです。その上、ひと月前に肩の骨にひびがはいり、今も痛くて腕が上がらないのだと。しかし、そんなこと微塵も感じさせない美しい踊り姿! 達人です。

 松本健康推進の健康づくり教室のため、午前10時から、午後4時半頃まで、市の総合体育館にいました。 
 36度Cの日中を、冷房の中に居れたのは、恵みです。
 夕方5時に家に着くと、室内は35度強。冷房のある建物に逃げ、帰宅はとっぷり陽が暮れてから。
 昨日も、ミサの後、冷房を求めて街をふらつき、夕方6時前に帰宅しましたが、室内は36度C。迷っていた夜の部の外出を、断固決行しました。
 行先は、中央公民館(Mウィング)で、松本城の盆踊りの練習です。19時から21時まで、性能のいい冷房の中で、快適に踊りました。
 環境って、こんなにも大きな影響力があるのです。ゆめ、忘れるべからず。


 今日のミサで神父さまは、ヨハネの6章の24~35を読み、イエスと群衆が「かみ合ってない」と言われました。
 「群衆は、数々のしるしを、しるしとは思わず、しるしを認めない。恵みを受け入れるのは難しい」と。
 群衆とは、私のことですから、自分の胸に手を当てれば、確かにあるのです。かみ合っていないこと、受け入れられないこと。
 しるしは解ります。しかし、しかし、現実は、、、、、。と言っているのが、受け入れてはいない証拠です。
 主よ、今日こそ、解りました。解りましたから、よろしく。
 
 ミサの最後に、神父さまは1枚の写真を取り出して言われました。「これは、ローマ教皇が、全世界に配布するようにと指示した、原爆投下後の長崎の「焼き場の少年」という写真です」。
 この写真を撮ったカメラマン(アメリカ人)のコメントによれば、少年は写真の様に直立不動で待っていた後、順番がくると、背中の妹を土の穴にそっと横たえました。
 その小さな身体に火が付けられ、その火が少年の頬を赤く染め、一瞬輝くように大きく燃え、燃え尽きるのを、写真のように、はだしで、直立不動のまま、凝視していたそうです。
 口は固く固く結ばれ、唇の内側からは血が滲み出ていたけれど、あまりに固く閉じられた口から、それは溢れ出る事はなかったと。
 燃え終わると、少年は、黙ったまま踵(きびす)を返し、静かに立ち去ったのだと。
 この写真の少年は、それから、どうしたのでしょう。戦後をどのように生きたのでしょう。彼の哀しみは、どのようにして、あながわれたのでしょうか?

 昨夕、涼を求め、ふらふらと新築の信毎メディアガーデンに入り込むと、入口奥のホールで、清水まなぶさんのライブが始まるところでした。
 清水さんは、最近信毎から「追いかけた77の記憶ー信州全市町村、戦争体験聞き取りの旅」という本を出した、シンガーソングライターでした。
 偶然に巡りあったライブ、すごかったです。ギターを持ち、たった一人で歌うだけですが、自作の歌の内容がスゴイのです。
 戦争体験を語れる人が次々に亡くなってしまう、という危機感にかられ、長野県の全市町村を、くまなく巡ろうと決意した彼が、聞き取った普通の人々の戦争体験は、ひとつひとつ壮絶で、その聞き語りの言葉をそのまま歌にしているので、まことに壮絶な内容なのでした。
 詩人でもあり、作曲家でもあるので、語りの言葉は、美しく配置され、メロディーとリズムも付いて感動です。
 歌の間、後ろの壁全面に映し出される、戦争の映像が、これまた、見たこともないリアルさで、戦場を、空襲の街を、引き上げの野を、知らせてくれます。こんなことがあってはならない、戦争をしてはいけない、と迫ってきます。
 歌の合間の沢山の語りは、柔らかくて、控えめなのに、生きる事を強く励ます、暖かい言葉でした。
 戦争体験者全員に共通していた言葉は、「もう、戦争は嫌だ。決して戦争をしてはいけない」だったと。
 敗戦までは、日本人に「人権」はなかった、と。
 平和であればこそ、幸せもあるのだと。
 平和は、努力して作り出すものだから、出来るだけ多くの人が、戦争をしてはいけないと、強く思う必要があると。
 リーダーがどんなに大切か、とも。満州からの引き上げの中で、「もう死のう」と言った村長の集団は、集団自決で73人が互いに殺しあって死に、その4キロ先にいた村は、誰も死んではいなかったのです。
 彼は、このような「歌と語りの講演会-回想プロジェクト」を長野県内の、幾十という小・中・高校で開いていますが、松本はまだ一つくらいだそうです。
 この感動を、松本の全ての児童・生徒・学生・大人に届けたいと強く思いました。今を生き、幸せを求める人の糧になること間違いなしですから。

 市内の病院などにお勤めの、理学療法士さん数人が、毎月、休みをとり、地区ひろばの「ふれあい健康教室」に、ボランティアで参加されています。もう、2年くらいになるかなぁ(?)。
 その尊い方々が、これから毎月(「ふれけん」とは別に)第1金曜日、「のびのび健康教室」と言うのを主催してくださることになりました。ボランティアで。
 目がクラクラするくらい、尊いお話しです。今日がその第一回。
 毎月の「ふれけん」で、お目にかかっている親しい理学療法士さんたちの音頭で、今日は主に、基礎体力測定。
 これから回を重ねるごとに力を付け、次回の測定時には、グ~~ンとアップした自分の体力を確認して、喜びがこみ上げるだろう、と予想してます。
 お近くの方は、是非ご参加ください。第一金曜日、午前10時から、城東地区ひろばにて。楽しいですよ。

 8月1日(水)の朝、アメリカ人のパパと、小学生の子2人が、松本から東京へ向かいました。
 5泊6日の信州滞在中に、兄は釘を踏み、妹は熱中症もどきを体験したから、今朝の「あずさ」は、強行軍だったかもね。
 パパが「大丈夫だよ」と言うので、鵜呑みにして、バス停までしか見送りしなかったのが、悔やまれます。松本駅まで行ってあげればよかった、、、。
 パパ、大変だったわね。怪我後と病後の子連れ、不慣れな漢字社会の旅。
 そのパパが、遅れがちの子供2人と、おばあちゃん(私)を必死に牽引して、松本駅行のバス停にたどり着くと、そこには、イスラムのスカーフを冠った美しい女性が、おりました。
 女性は若い母で、腕に乳児を抱え、膝に幼児を引き寄せておりました。
 心優しいパパは、自分の必死さをさておいて、先にバス停にいた彼女に挨拶をしています。英語で。
 もの静かそうなイスラムの女性は、(たぶん勇気をふりしぼって)何かをアメリカ人(パパ)に頼みました。英語で。
 パパは「OK!」と言うと、彼女が差し出した携帯電話に耳を当て、口は「あの、マホメット(だったかな?)ですが、保育園に着くのが少し遅れますので、よろしくお願いします」と日本語で、言ったのです。
 あっと言う間の出来事でした。
 私は、これでお別れの2人の孫に気を取られて、ほんとうは困っていたイスラムの女性の事情など、全く気が付きませんでした。さすが、コミュニケーション学の博士ですね。すごい!。 
 酷暑の強行軍、東京でママと合流し、さらに、その日のうちに、静岡に移動するそうです。小さな家族が守られますように。

 夜は、ジセダイ・トークの納涼会でした。
 過去22回のジセダイ・トークで、臥雲義尚さんと対談した方々をはじめ、超豪華メンバーが60人くらい。
 楽しく盛り上がり、私もサーブしたり、飲み、食べ、喋ったり。
 林業の社長さんをしている、原薫さんと言う若い女性が言いました。(二人で話していた時)
 「昔は、結婚は結魂と書いたのよ」と。「結魂は、相手を束縛することなく、その人らしさを尊重することなの」と。
 時として、こういう人に巡りあえるのです。コミュニケーションは、人が成長するためには、欠かせないものですね。
 

< 2018年08>
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