私の育児方針というのは、「学力よりも、体力よりも、習い事力よりも、忍耐力をつけよ」というもので、安曇野時代の孫にも、そんな事をよく言っていました。
 そしたら、最近、中1になった女子孫が遊びに来て「おばあちゃん、あたし、忍耐力ついたから」と報告してくれました。
 それに気を良くし、先日上京の折に、またもやこの説教が、口から滑り落ちてしまって、、、。
 この時の孫は、9人中の一番ちいさな孫で、小学1年生。ニンタイリョク、と言われても、何のことだか分からなかったでしょうね。
 小1女子は???顔でしたが、そのママ(私の息子の妻)が質問してくれました。
「お母さん、それって、どうしてですか?」
 寡黙な彼女の質問は、いつも的を得ており、今回も私にグサリ。
 あの、その、それは、ええと、、、、、でうまく答えられませんでした。
 あれから6日。今日、その答えがまとまったので、彼女あてにメール。
「良い質問をありがとう。
 忍耐力とは、苦労なく待つことが出来る力で、この力が強いと、苦しいと思う事がほとんどなく、スイスイ前進できるかと。
 (待つ間も楽しんで、他の事をしたり、創意工夫をしたり。実現する日を楽しみにしたり。
 体力があれば、苦もなく重いものが運べ、学力があれば、苦もなく本が読めるのと同じ)。(忍耐力があれば、学力も体力もその他の力も、苦も無く向上します。たぶん)
 忍耐力と我慢とは違いますが、少しずつ我慢すると、少しずつ忍耐力も付きます。」
 ま、ばあちゃんが言いたいのは、「たいていの事は、へっちゃら、で生きて行ってね」と言うことかな。

 写真は、その事を話しながらご馳走になった東京の朝食と、今日の我が家の庭と玄関です。
 庭の菊菜はまだ2センチ程で、糧となるのは先の事。でも、忍耐力があれば、へっちゃら。



 少し前、安曇野の息子の農場から、果物の大きな段ボール箱が宅急便で届きました。
 開けて見ると、もみ殻の中に、赤のリンゴと明るいクリームいろのリンゴが光っていました。あらら、紅白のリンゴで、お正月みたい、、、、。
 もみ殻の奥をほじって見ると、次の段には、梨がぎっしりでした。瑞々しい梨の茶色は、あま~~い証拠です。
 一昨日の夕方、その息子がちょっとだけ寄ってくれました。
「野菜をちょっと、置いてくよ」
 置いていったのは、3種の宝菜で、まず、真っ白の巨大な大根。まだ土が黒々と、葉が青々と付いて、滴るような美しさです。
 もう1品は、赤い人参。これももちろん無農薬だけれど、この人参は甘くておいしくて、農場の人気商品(生産物)です。
 あらら、こんな、貴重なもの、ありがとね。紅白でお正月みたい、、、、。
 そして、あと一品は、たぶんこの秋最後の梨。あの甘~いしるしの綺麗な茶色です。私が、果実では、イチジクの次にこの梨が好きだってこと、知っていたのね。ありがと。
 なので、今日は、台所に陣取り、大根と人参の紅白のなます、紅白のおでん、紅白の漬物、紅白のきんぴらを作りました。
 

 パイプオルガンがそびえる島内の音文で、今日は健康推進松本支部研修会がありました。
 午前中は受付の準備と、舞台の上で劇の練習。劇団仲間とのランチの後は、健康啓発コメディの本番で、午後の幕が開きました。
 前座の劇の後は、メインの講演、吉永みち子さんの「自分らしく生きる」です。急いで着替えて、客席へ。
 劇本番の緊張がほどけたせいか、いつの間にかのうたた寝で、気が付いた時、吉永さんは、次のようなことを言っておられました。
 「・・・・・彼女は40年間筆を取らなかったけれど、その間、風の音を聞き、土の香りを感じ、見えない地下では作品の元を培っていました。彼女はずっと作家でした。
 77歳で大作を書き、80歳で亡くなったのです。
 生活に追われて書けない時代が長かったけれど、彼女の芯は「物書き」で、それに貫かれた一生でした。自分らしく生きる、とは、自分の芯を作ることです。」
 それは、自分の内の声を聴くこと、なのだと。
 後で、隣席の人が教えてくれたその作家の名は「吉野せい」。
 う~~~ん、アマゾンすべきか否か、迷っています。
 図書館にしようかな。

 
 

 高校では1クラス50人でしたが、半世紀後の先の日曜のクラス会には、24人(たぶん?)が参加しました。
 クラスの人気者だった子が、実家を継いで、女住職になっている寺で行われたので、いつもより盛況でした。会場が学区内だったのも、懐かしさがありました。
 オーストラリアから来た人もいました。
 彼は、大学は日本でしたが、かの国の難しい試験に合格し、最後はオーストラリアの政府高官として仕事をしていました。
 数年前に肝臓癌が見つかり、医者に「あと5年くらいかな」と言われたそうです。
 それから5年が経ちました。痩せたので、大きな目がもっと大きくなりました。
 「具合はどう?」と聞くと、
「肝臓の半分を取っているし、あと半分も、肝硬変で機能していないんだ」と答えました。
 「でも、目の光は綺麗だし、明るくて、元気そうにみえるけど、、、、」と私。
 彼がにっこり笑ったので、「そういう風に、生きているのね」と私が言うと、彼は、
「そういう風に、死んでいくんだよ」と答えました。笑顔のままで。あまりにも自然に、さわやかに。
 彼のたたずまいは、静かで、穏やかで、明るくて、透明で、仏さまの様でした。
 来年も、次の年も、クラス会には必ず、オーストラリアから帰ってくるそうです。
 また、来年、きっと会いましようね。私も必ず上京します。

 出不精の私がたまに上京し、コンパクトながら、2日で4つの重要事項訪問をしました。
 充実した時間だったので、それぞれの感想をかきたいのですが、何故か、モーレツに眠いです。
 天気が下り坂だから、かも。
 もう、だめです。お休みなさい。
 今日はひろばでの健康教室(「笑いヨガ」で大いに盛り上がりました)と、保健センターで、健康推進の打ち合わせでした。

 土曜早朝5時20分に松本を出、日曜の深夜25時43分に戻る予定で上京しましたが、クラス会の会場になった旧友のお寺に、泊まらせていただけることになり、今日の午後帰信ました。
 高校時代の3年間、同じメンバーで過ごしたクラスでも、話をしたことのある男子は数名だったので、数十年後に会って、初めて話したという人も多いのが、わがクラス会です。
 でも、話はしたことがなくても、どんなことを考えていたのかを知らなくても、昔を知っているという事は、なぜか、ホールで(丸ごと)信頼できる、という感覚がありますね。
 その感覚を頼りに、聞きたいことを直球で質問し、その質問に、しっかり答え続けてくれた旧友に感謝です。
 出会った時は15の春でも、今は、幾つもの時代を生き抜いて、智恵がぎっしり。また、いろいろ教え下さい。
 

 1999年、私は京都にいました。
 長男は新婚ほやほやで兵庫に暮らし、長女はニューヨーク市立大学ハンターカレッジの3年生、次男は大工修行を中断してインド放浪の旅へ。
 同居の三男は嵯峨野高校の1年生、私も仕事をしながら、佛教大学通信課程で、社会福祉の勉強を始めていました。
 その1999年の秋、9月の30日(あるいは次の日)のニュースの画面を、私は今も鮮明に覚えています。
 それは舞台の上のような、記者会見のような会場で、幾人かの男たちが横に並んでいて、その男たちに質問の矢が飛んでいました。
 茨城県東海村のJCOで、原子力関係の事故が発生し、その状況報告の場面でした。
 「で、一体、何が起こっているんですか?」と言う質問の矢が飛び交う中、原子力関係の科学者も、施設の責任者も、モゴモゴするばかりで、はっきりしたことを言いません。隠蔽姿勢がプンプンでした。
 その時、専門家を差し置いて、端にいた野中ひろむという人が「それは、臨界点に達したということですね? そういうことですね?」、と、禁句ともいえる言葉を、言ってのけたのでした。
 居間のTVの画面から、彼の「国民に今の事態を知らせなければ」との強い心が伝わり、その勇気に感銘を受けました。
 野中ひろむが官房長官の時代です。
 今日、ウェブのWikipediaで、野中ひろむの項を読みました。Wikiの記述は長~~かったですが、内容がすごくて、ついに最後まで。なかなかの人だったんですねぇ。
 2009年、彼は、「政治の最大の役割は、戦争をしない事だ」と言っています。

 昨夜は、駅前で「ジセダイトーク」があり、「政治の来し方行く末を語ろう」のテーマで、臥雲義尚さんが大いに語りました。
 NHK政治デスクに聞く、と言う趣きの、戦後政治の概要と今回の選挙の分析と解説で、なかなかの聴き応えでした。
 後半、沢山の質問があり、そのほとんどに、即座に自分の見解を言って行く力量に、びっくり。
 時代により、政治にはいろいろな流れがあるけれど、臥雲さんが大切にするものが、
「自由の保障と機会の平等」であり、大切に思っている概念が
「自由」「平等」「個人」「参加」「寛容」「多様性」などであることを知って、嬉しかったです。
 こういう基本的なことを、愚直にゆっくりと前進させて行くことが大切なのだと。

 余話として、大変面白かったことは、
 つい最近までNHK「ニュースウォッチ9」のキャスターだった大越健介さんと臥雲さんは、東大野球部の4年生と1年生の先輩後輩で、同じNHKの政治部の記者となり、同じ時代、大越さんが小渕首相の番記者、臥雲さんが小渕内閣の官房長官だった野中ひろむさんの番記者、だったことがあるそうです。
 で、2次会で、こっそり、大越キャスターのあれこれや、野中さんのあれこれを聞き出しました。どちらも、興味のある人だったので、私にとって、誠に有意義なお話でした。ここには、書きませんが。

 今日は、午前から夕暮れ時まで、総合体育館。
 劇の練習や、劇団メンバーでのお弁当ランチや、午後の準備会や、健康教室での笑いヨガの講習や、その後の反省会や、役員での今後の行事予定など、盛りだくさんな一日でした。写真は2020年11月3日のものです。

 

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